当時の不良ファッション<当時の不良ファッション>不良ファッションとスラング 70年代前半、高校生の学ランファッションは「ヨウラン」「ボンタン」が主流であった。 平凡パンチ(だったと思う)に、帝京高校生徒の写真入でそのファッションが取り上げられ、一大ブームを巻き起こした。 その後、モデルとなった生徒は一人づつ血祭りにあげられたという、まことしやかな噂が流れた。 仕立ては世田谷赤堤にあった洋服の「並木」が有名で、放課後は各校の不良が屯して火花を散らした。 特にこの場所は国士舘高校のホームグラウンド近辺ということもあってか、学ラン制服のままで行くのは命がけであった。 当時は制服イコール勢力誇示であったので、時たま進学校の不良などが訪れた日には、小銭まできちんと集金されてしまい、帰りの電車賃を店のおっちゃんに借りることになったりもした。 ちなみに最寄り駅は東急世田谷線山下駅または小田急線豪徳寺駅で、70年中期には店が小田急線梅が丘駅前に移転した。 ぼんたんの定番は腿幅40cm、裾幅20cm、スリータック、ループ付きハイウェスト5cm、後方Vカット。制服にはタキシードクロス、アムンゼン、私服には玉虫生地が主流だった。 後年、横須賀マンボ(スカマン)とかズンドウ、ドカンとかにモデルチェンジしていく。 ヘアスタイルもこの頃はまだおとなしく、リーゼントかオールバックで、パーマかアイパーを使ったものが多かった。 額の剃りこみにしても、生え際を揃える程度のものだった。 靴は一文字とか三面鏡とか呼ばれる平たいひも革靴が主流だった。 つま先の部分がエナメルだったり、四面の角度をつけたものなどに人気が集まり、「カンサイ」などとも言われていた。たぶん関西で作られたものが多かったせいだと思う。 ヨウランの呼び名は、戦後やくざの間でもてはやされた、輸入品の丈の長い背広を「洋ラン」と言ったことが語源ではないかとされる。 上着丈を長くした学生服を総称してヨウランと呼び、長さに合わせて、中ラン、長ランと分け、後年はミニランと呼ばれる丈の短い学生服も登場した。 また、カラーも高くしたハイカラーが用いられ、ポケットも背広風に斜めハコポケなどがおしゃれだった。 もともとは大学生の応援団ファッションから流れてきたものである。 独自の学ラン・不良ファッションは大学生→高校生→中学生という具合に、時代の流れと共に低年齢化が進んでいった。 |